郡山市

参加メンバーの多くは、当時市内の避難所で暮らしていました。原発事故以来、何度も避難のための転居を重ね、郡山市内の避難所を退去後も安全で安定した住居を求め幾度も転居しました。

初めてのミーティングで顔を合わせたメンバーたちが今も活動を続けており、郡山市から離れた地に移転したメンバーも、高速バスや車で、郡山でのミーティングに駆けつけます。

※各メンバーのプロフィール末尾には、国立女性教育会館(NWEC)災害復興支援女性アーカイブ国立国会図書館(NDL)東日本大震災アーカイブひなぎくから検索できるフォトボイスのタイトルも記してあります。気になるタイトルがありましたら、ぜひご覧になってください。
現在、同アーカイブから検索できるフォトボイスの一覧は、こちらから確認できます。

【メンバーのプロフィール】
●キーちゃん
50代、主婦。いわき市住。富岡町に住んでました。生まれは川内村。どっちも大切な故郷。川内村の実家から郡山に避難、夫の転勤で宮城からいわきへ。家族や周りの人たちもバラバラな生活だが、1日1日を大事に前向きにくらしていきたいです。
*アーカイブ化されたフォトボイス:「道路わきの危険物」(2012年)、「近くて遠い我が家」(2012年)

●全田
60代、主婦。ずっと郡山在住。家が大規模半壊で、公民館など市の施設2か所で4か月間の避難生活。その後借り上げ住宅住まい。震災前は野菜づくりや山菜取りを楽しんでましたが、いっさいできなくなりました。けれど3年目から除染した畑で野菜づくりを始めました。3年半後やっと畑近くに住宅再建しました。
*アーカイブ化されたフォトボイス:「かたよった食事」(2011年)、「無残な実り」(2012年)

●山桜
60代。郡山市在住。元団体職員。震災直後は食料品や、孫のミルク、おむつの購入に雨の中を自転車で走りまわりました。今思えば、あのころは放射能がかなり降り注いでいたのでした。発災から約1か月後の4月からは市内の避難所や、仮設住宅で被災した方がたの相談にのってきて今も続けています。なんとなく気持ちが晴れないまま活動してきたのですが、自分たちも被災していると気づきました。
*アーカイブ化されたフォトボイス:「母子」(2012年)

●横田
60代、主婦。生まれも育ちも富岡町。川内村、田村市、東京都内3か所、郡山と避難のため移動し、今は郡山の借り上げ住宅住まいです。仮設住宅でボランティアをしています。また、手芸を教えてもらってます。郡山の知人の畑を借りて、野菜づくりを楽しんでいます。郡山の風の冷たさにびっくりしました。
*アーカイブ化されたフォトボイス:「哀しい我が家」(2012年)、「くらしの場にある除染廃棄物の袋」(2013年)

●吉田
50代、お寺の坊守。いわき市在住。生まれは双葉町で、富岡町に住んでいました。田村市、いわき市、郡山、と避難。バラバラになった檀家さんめぐりをしています。宗派としてのボランティアのほか、個人的に仮設住宅で高齢の方がたの話し相手、傾聴の勉強、富岡町震災「語り人」をしています。
*アーカイブかされたフォトボイス:「ネコの孤独」(2011年)