目標3 あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活と福祉の促進

 日本における平均寿命は高く、医療保健が充実していると言われている。しかし、緊急避妊薬へのアクセスが制限されていたり、中絶に配偶者・パートナーの同意が必要であるなど、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康・権利)は保障されていない。
 目標3の達成目標(ターゲット)の一つは「2030年までに、有害化学物質、ならびに大気、水質及び土壌の汚染による死亡及び疾病の件数を大幅に減少させる」である。日本が直面している原発事故による放射能汚染への取り組みは、極めて重要な課題である。
 東日本大震災は、被災した人々の心身に長くその影響を及ぼしている。しかし、政府が国連に提出した「自発的国家レビュー2021」(SDGsの達成状況に関するレポート)は、女性のリプロダクティブ・ヘルス/ライツの課題に触れていないだけでなく、住民の放射線被爆への不安、震災関連死など長期にわたる震災の影響にはふれていない。「すべての人々の健康的な生活と福祉の促進」に向けてより本格的な対策が求められている。
 ベルテルスマン財団・SDSN*による「持続可能な開発報告書2024」は、日本における目標3の達成度を「課題が残る(Challenges remain)」と評価した。

*持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(The UN Sustainable Development Solutions Network)


すりきれた妊婦マークと避難当時の我が子

結婚4ヶ月目に初めての妊娠確認が2011年3月9日で、妊娠2ヶ月でした。
すぐに大震災と原発事故が起きて、爆発した原発に、バケツで水をかける政府の対応に
「もうダメだ!」と判断し、夫につきそわれて、神奈川の友人宅へ一時避難。
放射能の恐怖にのみこまれて、1日中子どもの未来が失われることへの恐怖に
頭痛や腹痛が起き、苦しすぎて、頑張れなかった。
妊婦であることの不自由、不安、責任を急に突きつけつけられて、お腹に子がいる以上、
自分が動くより他に道がなかった。
恐怖が私を動かした。

ふくしま野風
福島県内自宅 2014年12月 撮影


ホールボディカウンター車

これはいま見ても怖い感じ。
この中で内部被ばく量の検査をした(食物や大気を通して体内に取り込まれた
放射線物質を体外から測定)。当時、国や東電の出す数字は、
何をみても信用できないというのが多くの人の気持ちだった。
秋ごろ東電本社に行った。バスが何台も出て、1700人の女性が集まった。
女の一揆と呼ばれ、デモをし東電側と対峙(たいじ)した。
切実な女性たちの声がひびき質問が飛んだ。何を質問しても東電側は黙っていた。
私も勇気を出して手を上げ質問した。
「私は孫が3人います。なんで子どもの集団疎開をしなかったのか」と。
答えはなく無視された。
あの時の気持ちがフラッシュバックする。

全田
福島県郡山市 2014年1月 撮影


自力で避難を決めて息子を連れて来た日、この窓を開けて
風が入って来て、マスクを外して眠らせてあげられた、
そんな当たり前の事に安堵して力が抜けた。
その日から6年を暮らした部屋。
窓の外には送電用の大きな鉄塔が連なる。
実はここは東京電力の社宅だった。
東京電力は、加害側の贖罪としてではなく、一企業として被災3県に
自社社宅を提供するというスタンスだったので、福島県からの
災害支援要請が打ち切りになった平成29年3月に退去を迫った。
災害支援要請の延長を決めた岩手県からの避難者は
そのまま居住していた。母子家庭の自力での引越しは簡単ではなく、
半年間は延長してもらえたが、福島からの避難者としては、
様々な想いと悔し涙をのみ込んだ。
写真は退去の日に撮影。

snowy
東京都多摩地区 2017年9月 撮影